代替品があふれる街で、本当に食べてみたいものは何か

元ボクシング世界王者のガッツ石松さんは、幼少期の最大の憧れが「バナナ」だったそうである。今では信じられないかもしれないが、私の兄も幼い頃、母の作った離乳食をあまり食べず、代わりに当時としては非常に高価だったバナナを食べさせていたと聞いたことがある。

あなたは子供の頃、「どうしても食べたい」と思い焦がれながらも、どうしても手に入らなかった食べ物があるだろうか。

私にはある。 当時、神田須田町に交通博物館(旧・鉄道博物館)があった頃、見学の帰りに御茶ノ水駅へと向かう道すがら、いつも目に入る「肉の万世」のビル。幼い私は、あのビルの上層階に上がって、ビフテキをお腹いっぱい食べてみたいとずっと夢見ていた。

また、実家の最寄駅近くには比較的高級なフルーツを扱う果物屋があり、母は親族への贈答品を買う際によく利用していた。その店の棚の一番上には、今にもはちきれんばかりにピチピチと輝くマスカットがいつも鎮座していた。「これを一度でいいから思い切り食べてみたい」と、何度願ったことだろう。

当時は子供が入手できる情報量も、テレビや親、学校の友人から得る程度に限られていた。写真や動画でその実態を細かく確かめる術もなく、だからこそ「欲しいもの」に対する思いはどこまでも一途で、どこか神聖ですらあった。

情報だけではない。当時の物流も技術も、現在に比べればずっと稚拙だった。 今であれば、欲しいものの「代替品」が街中にいくらでも溢れている。本格的な韓国焼肉店へ行く予算がなくても、安価なお一人様焼肉店で手軽に焼肉定食が食べられる。銀座の最高級ステーキハウスに行かずとも「いきなりステーキ」があり、老舗の今半ですき焼きを食べられなくとも「吉野家」の牛すき鍋がある。憧れのマスカット(シャインマスカット)だって、高値の7〜8月を少し我慢して9月末になれば、1パック1,000円未満で手に入る時代だ。

ここからは少々自慢のようになってしまい恐縮だが、大人になり、相応の所得を得るようになってから、私はかつての憧れを確かめるように名店を巡った。

人形町・玉ひでの「軍鶏すき焼き」、隅田川を臨む浅草・前川の「うな重」、日本橋・日山の「すき焼き」……。いずれも最上級の味とロケーションであったことは間違いない。しかし、それらを口にした時、幼少期に抱いていたような「あの震えるほどの歓喜」が得られたかというと、正直疑問が残るのだ。

最初の質問に戻りたい。 情報が溢れ返り、高度な物流網が張り巡らされ、あらゆる食べ物の「代替品」がすぐ手に入るこの東京という街で――今、あなたが心の底から「食べてみたい」と熱望しているものは、一体何なのだろうか。

SNSの評判を見て駆けつける話題のラーメン店だろうか。車を何時間も走らせてたどり着く、里山の大行列店だろうか。 そして、その食体験は、本当に「他の何物にも代えがたいもの」なのだろうか?

私がこれまで綴ってきた旅や山の記憶をお読みいただいた方なら、本当に心に残る食体験とは、単なる栄養補給や「映え」ではなく、その場所へたどり着くまでの時間や物語を含めた「代替不可能な体験」であるとおわかりいただけると思う。50年前も、そして今も。

豊かになりすぎた現代の食卓を前に、昭和生まれの人間が、ふとそんな意地悪な問いを投げかけてみたくなるのだった。