八百屋・肉屋の消えた街で――私のスーパーマーケット今昔物語

平成の世に生まれた方々にとって、スーパーマーケットとは食料品を調達するための「ごく当たり前の日常の手段」だろう。 しかし、昭和生まれの私にとってのスーパーは、かつて主流だった肉屋、魚屋、八百屋、惣菜屋といった専門店の賑わいの中に、少しずつ溶け込み浸透してきたものだった。

私の実家は都内23区内の閑静な住宅地にあり、交通の便も非常に良い場所にある。 そうした立地ゆえか、自宅から徒歩二分ほどの賑やかな大通り沿いには、八百屋、乾物屋、惣菜屋、菓子屋、酒屋が整然と並んでいた。さらに少し先には、肉屋や魚屋、惣菜屋が集積した、いわば「小規模なマーケット」のような一角もあり、そこだけで日々の買い物が完結するワンストップな環境が整っていたのである。

食料品だけではない。クリーニング店や布団屋、文具店、パンや雑誌も扱う煙草屋までが軒を連ね、この大通りさえ歩けば暮らしに必要なほぼ全てのものが揃った。確かに駅ビル内には大手資本のスーパーがあったものの、駅までは徒歩一五分ほどかかるため、わざわざ遠出せずとも十分事足りていたのだ。

ある日、家と駅の中間ほどの場所に、個人資本と思われる小さなスーパーマーケットが開店した。 しかし当時のその店には、新鮮な野菜や果物、質の良いお肉などは置かれておらず、母と一緒に買い物に行っても缶詰や調味料を買う程度でしかなかった。

それがいつ頃のことだったか、正確な時期は思い出せない。だが気がつくと、母は大通りの専門店で買い物をするのを控え、駅前まで足を伸ばして生鮮食品を買うようになっていた。

きっかけは、駅の北口に新しいスーパーマーケットがオープンしたことだった。 駅ビル内の大手店舗に比べれば敷地面積は半分ほどだったが、かつての暗く新鮮味のないスーパーとは異なり、そこには新鮮な食材が大量に、活気あふれる店頭に並べられていたのだ。

そうして時が流れるうち、あれほど賑やかだった大通りの専門店がひとつ、またひとつと店じまいしていった。スーパーの原型のように便利だったあのワンストップの店舗群も、いつしかシャッターを下ろした。

やがて食料品店だけでなく、ほぼ全ての個人商店が姿を消し、その跡地には高層のアパートやマンションが建ち並ぶようになった。

この風景の変化は、単なる店舗の交替ではない。昭和五〇年代から平成へと至る中で起こった、街の家族構成や暮らし方の大きな変容そのものだったのだと思う。

私の幼少期、母は専業主婦であり、小学校のクラスメイトの母親たちの多くもそうだった。 しかし昭和から平成へ変わる過程で、実家周辺でも世代交代が進んだ。相続などの理由で住み慣れた土地を離れる人が増え、代わりに地方や他地域から新しい人々が流入してきた。

今から百年ほど前、このあたりはのどかな農村地帯だったという。それが戦後の農地改革によって少しずつ住宅が建ち始め(我が両親が家を構えたのもその頃だ)、いつしか都内でも憧れの住宅地へと変貌を遂げた。そして家族のあり方もまた、専業主婦から「共働き」へと大きくシフトしていった。

いま実家の土地を相続し、現代の街を見渡して改めて実感する。今の多くの家庭は共働きだ。 平日は都心へ通勤し、帰宅時に駅前でサッと買い物を済ませて家路につく。だからこそ、家が駅から多少離れていても、駅前スーパーさえあれば生活に何ら不便を感じない構造が出来上がっているのだ。

幼少期に目撃した「新鮮さに欠けるスーパー」の姿は、いまや完全に過去のものとなった。 巨大な仕入れ力を持ち、鮮度と物流の精度を劇的に向上させた現代のスーパーマーケット。彼らがどのようにして流通の主導権を握り、私たちの食卓の裏側を支えるようになったのか――その構造についても、また別の機会にじっくりと紐解いてみたい。