カッワーリーとの遭遇── ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの衝撃

ある日、私は卒業した大学を訪れ、かつて大学二年生の時に受講した民俗学の講義を、聴講生として再び受けることにした。

理由は単純だった。

トルコで見損ねたイスラム神秘主義の旋回舞踏について、もう少し理解したくなったのである。

担当講師は、当時と変わらずM教授だった。

その頃の私は、すでにトルコのコンヤを訪れていた。

また、インドネシア東部のヌサ・トゥンガラ地方や、マレーシア、ブルネイ、アラブ首長国連邦などを旅し、イスラム社会の空気に触れていた。

もちろん専門的な知識があったわけではない。

それでも、若い頃の私よりは多少なりともイスラムを理解しようとしていた。

今振り返れば、この頃の私は宗教における音楽の存在に少しずつ目覚め始めていたのだと思う。

まだ完全に理解したわけではない。

しかし確実に、その方向へ向かって歩き始めていた。

その日の講義で、M教授は一つの映像を紹介した。

パキスタンの国民的歌手、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンによるカッワーリーだった。

当時の私は、「パキスタン歌謡」という説明を聞いて少し戸惑った。

歌謡という言葉から私が連想したのは、J-POPや演歌のようなものだったからである。

しかし流れてきた演奏は、そのどちらとも違っていた。

ハルモニウム。

タブラ。

そして複数の掛け合いによるリズム。

その中心でヌスラットが圧倒的な声量で歌い上げる。

言葉の意味は分からない。

ただ、神の御名らしき言葉が何度も登場していることだけは伝わってくる。

私は不思議に思った。

こうした宗教的要素の極めて強い音楽が、商業的な音楽として成立することに違和感があったのである。

日本で仮に仏教や阿弥陀如来を題材にした楽曲が大衆音楽として流通したらどうなるだろう。

一般の人からは敬遠されるかもしれない。

宗教関係者からも慎重な扱いを求められる可能性がある。

もちろん日本にも仏教音楽グループは存在する。

しかし、それが広く大衆文化に溶け込んでいるかと言えば、事情は異なる。

だからこそ、私は驚いた。

宗教と音楽がこれほど自然に融合している文化圏があることに。

もっとも、理屈より先に私を圧倒したのは演奏そのものだった。

ヌスラットの歌声は凄まじかった。

魂の奥底から絞り出されるような声。

日本のポップスとも違う。

フュージョンとも違う。

クラシックとも違う。

しかし不思議なことに、その音楽の中にはどこか懐かしさもあった。

バリ島のケチャ。

台湾原住民の舞踊。

ヌサ・トゥンガラ地方の祭礼音楽。

これまで旅先で出会ってきた様々な音の記憶と、どこかでつながっているように感じたのである。

そして私は気づいた。

私にとってカッワーリーとは単なる異国の音楽ではなかった。

それはイスラムという文化を理解するための入口だったのである。

後に私は、アザーン、旋回舞踏、スーフィー思想、そしてイスラム社会の日常を少しずつ理解していくことになる。

しかし、その過程で最も大きな役割を果たしたのは、書物でも大学の講義でもなかった。

ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの歌声だった。

今でも残念に思うことが一つある。

私が彼の存在を知ってまもなく、ヌスラットは四十八歳という若さで世を去ってしまった。

パキスタンの至宝とも呼ばれた、その歌声を生で聴く機会は永遠に失われてしまったのである。

それでも私は幸運だったと思う。

あの日、大学の教室で流れたカッワーリーを耳にしたからだ。

もしあの時、ヌスラットの歌声に出会わなければ、私はイスラムの世界を今ほど身近に感じることはなかっただろう。

そしてそれは、ジャカルタのアザーンや、コンヤの旋回舞踏が、一本の線として結びつくこともなかったに違いない。